ベルの歴史。それは世間の常識を疑い挑戦し、常に超えてきたプロフェッショナル達に選ばれ続けてきた歴史でもあります。
1923年ロスアンゼルス郊外の小さなガレージで生まれ、アメリカのモータースポーツ、サイクルカルチャーの中で磨かれてきたその歴史は、他のヘルメットメーカーが持つことの無い、ベル自身が持つルーツであり唯一無二の真実です。
頭を守るヘルメットということにおいてその素材や形、機能やデザインに至るまで、常に時代をリードし切り開いていく。いつも限界に挑むクレイジーで偉大なるヒーロー達にとって、それこそがベルを選び続ける理由でもあったのです。
ブランドが始まって90年以上経った今、その歴史は世界中に広がり、あらゆる場所で愛され語り継がれ、また深まり続けています。
グランツールやワールドカップの勝者、ローカルトレイルを愛し守り続けるビルダー。ヒルクライムをアグレッシブに攻めるウィークエンドウォーリアー、都会の雑踏を切り分けるコミューター、初めての自転車にチャレンジするキッズまで。その場所や時間が何であろうとも、自分達の限界に挑戦し超えていく、その誰もがそれぞれのプロフェショナルであり、同じ地平にいるのです。
ベルは、そんな人達に選ばれ続けるために変わらず時代の先頭を走るヘルメットのオリジンであり、そしてプロフェショナルな存在であり続けます。そのことが、今もこれからも変わらない、ベルの進むべき道だと信じているからです。
狩猟用の罠や魚の缶詰工場で働いていたジョージ・ウェイトがカリフォルニアで「ベル オートパーツ社」設立
ロイ・リチェッタは高校を卒業後、ジョージの元で働くことになった。彼は自動車レースを始め、ジャンクパーツの山から「ベルスペシャル」の小型車を組み上げた。
その後ロイはレーサーとして、またレースカーの製造やパーツのデザイナーとしての才能も開花させた。
ロイは自身の車を売却し、ジョージから「ベル オートパーツ社」を買い取った。
ロイの長年の友人がレース中の事故で命を落とした。これを契機にロイはレースを安全に行う為の商品を作ることに決めた。
ユタ州ボンネビルで第1回目の「全米スピードトライアル選手権」が行われた。
BELLはここにトラック1台分のスペアパーツと出場選手のための日よけの為に大きなテントを持って出展した。このテントはその後の30年間、パームツリーと呼ばれ親しまれた。
ヘルメットのファーストモデル「The 500」が誕生。リンカーンチームが「カレラ パンアメリカン ロードレース」でこの「The 500」を使用した。この年が事実上のベル社創業となる。
ロス市警は「オートバイを使用する警察官はヘルメット着用」というルールを導入し、800以上の警察署にヘルメットが納品された。
ベルヘルメットカンパニー独立。
さまざまな安全規格を定める「スネル規格」において初めてヘルメットに関する基準が制定され、ベルはこの規格を通った最初の会社になった。
スカウバレー冬季五輪にて、アメリカスキーチームのオフィシャルヘルメットサプライヤーとなる。
ベルヘルメットの商品ラインは警察や消防署向けのヘルメットを含む9種類に拡大。そして、スキー用ヘルメットは自転車用としても使用されることになった。
The 500の後続モデルである「The 500 TX」がその芸術性を評価されニューヨーク近代美術館に展示される。そして現在でもMoMAにて4モデルが展示されている。
伝説のバイクスタントマン イーヴェル・ニーヴェルはラスベガスの巨大噴水を飛び越えようとしたが、残念ながら失敗。奇跡的な生還はBELLヘルメットのおかげと信じられている。
「スネル規格」はあらたに自転車ヘルメットの安全規格を制定。この規格は非常に厳しく、オートバイ用ヘルメットだけがこの規格をパスすることができた。
世界初の自転車専用ヘルメット「BELL BIKER」の登場。
このヘルメットは初めてEPS(発泡スチロール)のライナーを使用。この製法は現在でも自転車用ヘルメット製造のスタンダードとして、世界の約98%のメーカーが採用している。
「V1 pro」という自転車レース向けのヘルメットを開発。初回生産分はわずか14日で完売した。また、同年、ベルはアメリカサイクリングチームのオフィシャルヘルメットサプライヤーになった。
子供向けに「リルベルシェル」を販売開始。
同年、初のエアロヘルメット「パスート」を発表。アメリカサイクリングチームにより使用されることとなった。
国内外の数々のタイトルを獲得したマウンテンバイクのカリスマスター ジョン・トマックへのスポンサーを開始。
自転車用ヘルメットの歴史の中でもっとも価値のある発明のひとつである「インモールドマイクロシェル」製法を確立。
フォームとシェルを熱圧着成型することで飛躍的に強度と成型自由度が増すこの製法は、以後の10年のうちに全てのハイエンドヘルメットに導入されることとなった。
アトランタオリンピックにてマウンテンバイクが初めて正式種目として登場。オランダのバート・ ブレンチェンスがBELL「psycho pro」を使用し、ゴールドメダルを獲得。
アメリカでCPSC(Consumer Product Safety Commission)の自転車規格がアメリカ国内で法制化される。ベルはこの規格を始めてパスした会社となる。
「全米セーフキッズキャンペーン」から最も権威のあるチャンピオンアワードを贈られる。
BMXのレジェンドであるデイブ・ミラ、ジェイミー・ベストウィックと契約。
世界初の通勤・通学用ヘルメット「Metropolis&Citi(現在は廃番)」を発表。新たなカテゴリーとして「通勤、通学」を含む「街乗り」を確立させ、同時にヘルメットの重要性を改めて啓蒙。
カルロス・サストレ(CSC)が、当時の最新型レースモデル「VOLT」デビューイヤーで、ツール・ド・フランス総合優勝。
カデル・エヴァンス(CSC)がVOLTを着用、ロード世界選手権、そして悲願のツール・ド・フランスを制覇(2011年)。
マーケット唯一のテクノロジーを備えたエアロヘルメット、「STAR PRO」発表。
全世界で累計販売数10億個を突破。